「天竺」目指して夫婦モバイル放浪

 
 

 

k日記ペルー編

2000.3.12(日)

 日曜日は、ピサックで大きな市があると言うので温泉も兼ねて出かけることに。バスで、約一時間。険しい山を登ったり小高い山間を抜けると山間に大きな川とポツンと小さな集落が見えてくる。そこを目指しバスはどんどん急な坂を下って行く。あれが、ピサックか。

 茶色の水が轟々と流れる大きな川を渡った所でバスを降ろされた。町の入り口らしい。同じバスに乗ってきた人々が向う方へ着いて行く。細い路地を町の中心へと向っているらしい。細い路地では、子供がはしゃぎ、軒先で犬が寝そべり、所々にインディヘナのオバチャンが自分で取ってきた野菜などを売っていた。なんともいい感じである。

 突然「あれ、財布がない!!」とポケットと言うポケット探りながら言うそのちん。やられてしまったのか落としたのかはいざしらず、とにかく財布が忽然と消えていた。すごく落ち込むそのちん。大事な財布が・・・と泣き面。はげますがしばらく地の底に穴を掘るほど沈んでいた。

 細い路地が開けたかと思うと広場らしき空間に所狭しと露店が並び、インディヘナのオバチャンの声が飛びかっている。奥へ進むとほとんどが民芸品とお土産物屋で占められていた。買いもしないのに散々、冷やかして歩いた。そんな中、うめちんの興味は別の所へ・・・。

 玄関先に竹の棒を斜めに立て、棒の先っちょに赤や青のビニールが巻き付けてある家に入って行くうめちん。中へ入ると何もない部屋に長椅子が整然と並べられ大きなコップを持ったオヤジが数人座ってそれを飲んでいた。よく見ると入り口に瓶が数個並べられていてその奥にオバチャンがデーンと座っていた。これがうわさのチチェリアである。

 チチャとは、とうもろこしを発酵させたこの辺の地酒らしい。早速、大きなコップにちょこっともらい一口。うっ・・・変な顔。そして私にコップを渡し飲んでみぃと進める。あの顔を見た後にこれを飲めってかぁ・・・でも、興味が先に立つ。1口こくっと飲む。うっ・・・すっぱい・・・これって腐ってるんじゃなくってこんな味なの・・・。そして、そのちんに勧める。一口コク。うっっ・・・これ、胃液の味がしない・・・一番ひどいことを言っていた。それから、数件のチチャリアを梯子するが何処も似たような味ですっぱいのは変わらなかった。ただ、最後に飲んだキヌアのチチャだけはおいしく飲めた。

 何処からともなく香ばしい、いい匂いが漂ってくる。匂いのする方へフラ〜っとそしてフラ〜と一軒の家に入る。目の前に大きなオーブン釜があり、その廻りに数件の部屋と広い土間があるけっこう大きな家だった。広い土間には、かわいらしい丸々と太ったモルモットがクイクイ言いながら柵の中で餌を食べていた。ちょんと触るとビクっとして足早に逃げて行く。写真を撮ったりして遊んでいると、オーブンの前でうめちんが手招きをしていたので行ってみる。

 「これ見てみて」とすっごく楽しそうな顔でオーブン皿の中を指差した。覗くと手足をピーンと前後に伸ばし、口を苦しそうに大きく開け、こんがり何かの動物の丸焼け物体が横たわっていた。「・・・もしかしてこれって・・・あれ」と目線の先にクイクイとかわいく歩き回っているモルモットが映った。「そうそう、あれだって」と簡単に言ううめちん。そのちんと二人絶句である。「食べようか」と値切りにはいるうめちん。でも、高くて手が出ない。結局、食べず終いに終わる。

 ピサックから約30分ほどバスに乗ったところにカルカと言うところがありそこからコレクティーボに乗って数時間、マチャカンチャなるところに温泉があるらしい。そこに行こうと思ってバスに乗ったのが3時ころ。カルカに着いてコレクティーボを探すが、なかなか見つからない。その辺の露店のオバチャンに尋ねると「あれ、行くかも知れないけど、帰って来れないかもよ。明日の朝にしなさいよ。何しに行くのさあんなところへ」イヤー温泉にと答えると「ああ、温泉ね。はっはっは」と何故かみんなに笑われた。

 行くかも知れないと言うバスに聞いてみると「今日は、もうマチャカンチャまでは行かないよ。途中の町までなら行くけど」と冷たいお言葉が返ってきた。じゃあ、タクシーを待たせればいいとタクシーのオジサンに聞いてみると「ええ、あんなところに一時間も待たせるきか?何人いるんだ?いくら払ってくれる」と。「3人なんだけど・・・」と言うと「3人!そんなんで行けるか。20ソル(約600円)払うなら行ってもいいけど・・・」と、悲しいお言葉。それどころか3人だと言うだけで去ってしまうタクシー運転手多数続出したくらいだ。これは、相当、辺鄙なところにあるに違いないと思った私達は、出なおすと言う形でスゴスゴとクスコへ帰ることにした。また、来れるかな?と言う心配を胸に引っさげて・・・ピサックからの帰り道は、絶好のミラドールだった。荷物、財布に気を付けながらため息が出るほど見入ってしまった。

 夜遅く、部屋でくつろいでいると、ドンドンとドアを叩く音。そして「ウメさーん。いますかぁ」ドンドンドン。何処かで聞いた声。開いてるよの言葉と共にバーンと入ってきたのは、日本人宿「花田」に泊まっている旅人だった。「ウメさん、助けてください。東大生の彼知ってますよね。下でご飯食べてその後、ラムを2杯飲んだんですよぉ。で、突然、彼、そこの階段で倒れちゃて、どうしたらイイかわからなくて・・・そうだ、ココにウメさん居たと思って・・・助けてください」とパニクッている。二人で顔を見合わせ、とにかく行ってみようとベットを出る。

 宿を出て階段を少し下ると、階段の端っこに水ボトルを手にちょこんと座った男がいた。「大丈夫?」と声を掛けると「ダメッス」と答えたまま下を向いてしまうばかり。取り合えず、道端じゃ危ないからと私達の宿に引きずって行き、コカ茶を飲ませ寒いと言うので毛布を与えて様子を見ることに。その内「僕苦しいです。オキシジェンください」「?オキシジェンって・・・」「サ・ン・ソデス・・・僕、ダメです・・・シンジャウンジャ・・・コワイデス・・・サンソ・・・」

 顔が蒼白になっている。これって高山病?酸素なんて何処にあるんだ?ああ、NAOツアーにあるのを見たといううめちんを信じて、急いでタクシーを捕まえに広場に走る。タクシーが来たときには、もう立てなく、後から偶然やってきたもう一人の旅人とうめちんに抱えられながらタクシーに乗り込み急いでNAOツアーへ。そのちん一人置いて行けないと言うことで私はお留守番。

 後で聞いた話によると、急性アルコール中毒と高山病が合併したものらしく、あのままほおって置いたら死んでいたかも知れなかったらしい。酸素をもらっている時の記憶はあまりないらしく、酸素補充の時のうわごとや横でみんなで酒盛りをしていたのも気がつかなかったようだ。NAOツアーで酸素をもらい復活した彼も、酒盛りに参加したのは言うまでもない。

 
2000.3.11(土)