「天竺」目指して夫婦モバイル放浪

 
 

 

k日記インド編

2001.2.28(水)

 車内に朝日が差し込む。緩やかな日差し、ちょっと肌寒い。ウダイプルの構内にゆっくりと列車が入る。閑散とした駅でプリぺイドオートリクシャに乗り安宿街へ向かう。快適に飛ばすオートリクシャのにいちゃんが「ジャパニ、日本のニューギャク知ってるか?」あ? 知らないよ。すると「オッハーー」と言った。「こんなの知ってるか、アイーン」鼻の下を伸ばしている。そして「カトチャン・ぺ。これ、日本人の常識だろ?」悠長な日本語でべらべら話し始まる。もちろんツアーやホテルの勧誘も日本語。なんなんだこいつは? 始めは不信に思ったが、最後には吹きだしていた。おかしな奴だった。そんな彼のツアーの勧誘を断り、お勧めの宿を蹴って、別の宿を探す。

 坂の多いウダイプル。細い路地のような坂道がいたるところに伸びている。そして、あたり前の様に牛が狭い道を占領している。人間と野良犬と野良牛が共存する不思議な空間はインドにしか存在しないだろうか? 宿を出た坂道を上がりきると大きなヒンディー寺院が見えてくる。急な白亜の階段に白亜の仏塔が数個見える。カンカンカンと鐘の音が響きわたる。それを横目に再び坂を上りきると大きな立派な門が現れる。マハラジャの宮殿、シティ・パレスの裏口。ウダイプルには、いまだにマハーラーナーが住んでいる。その宮殿の一部が見られるのだ。

 門をくぐり、チケットを買って塀のような宮殿の横を進む。きれいに整備された庭に噴水がきれいに弧を描いている。のんびりと寝そべり昼寝をしている人達がいた。宮殿の中は、見た目、質素、でも金は相当かかってると言った感じの装飾。たまに、趣味が悪いんでないかいこの部屋はと言う全面かがみ張りの部屋やこてこてに金銀を張り巡らせた装飾の壁とかが現れる。案外、歴代のマハラジャの寝室などは、質素そのものだった。宮殿に入ったとたん「俺はマハラジャだから」と何度も連発していたうめちん。「俺は、マハラジャだからこんな宮殿のひとつやふたつ位簡単に建てられる」と豪語。「じゃあ、私に一棟建ててくれ、マハラジャ」そう言うと窓際に立ってウダイプルの町並みを見渡し無視をする。マハラジャはマハラジャでも出来ることとできないこがあるらしい・・・

 宿に帰って昼寝をする。案外、宿の中は涼しいので心地よく眠りにつく。ハッと気がつくと辺りは真っ暗。夕飯を食べに外に出るとほとんどの店が閉まっている。あやや、どうしよう。坂を登っていくと、なにやらにきれいに着飾ったインド人がたくさん集まっている。たくさんのインド人が降りてくるその方へ足を向ける。狭いゲートをくぐると、ステージに二組の男女が座っている。

 どうやら結婚式のようだ。よく見えないので一段高いところへ。そこは料理が並び、きれいなのから汚いのまで、いろんなインド人がご飯を食べていた。これって、私達も食べていいのかしら?うめちんに聞くと「これは、誰が食ってもいいんだよ」ちょっと気が引けるが、皿をもらって料理を取る。不思議と誰もとがめないので本当に誰が食べてもいいらしい。「どれどれ」口に入れて吐きたくなった。ものすごくしょっぱく非常に辛い。チャパティばかりが減って行く。残しては申し訳ないので、最後まで食べたが、これは、体に悪い。普通、インド人は、こんなに辛くしょっぱいものを食べているのか?レストランで出てくるものはツーリスト用に味を変えているのか?考えてしまった。まあ、夕飯にありつけたからいかぁ・・・

 ライトアップされたシティ・パレスが夜空にぼんやり映し出される。三日月がその美しさを一層、引き立たせていた。

2001.2.27(火)