「天竺」目指して夫婦モバイル放浪 |
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k日記インド編 2001.2.27(火) 牛が歩道を占領している。バシャジ製のバイクとオートリクシャが我が物顔で道路いっぱいに列をなす。そんな隙間に屋台が軒を並べて商売をしている。後ろからはラクダ馬車が口をウゴウゴさせながらすごいスピードで迫ってくる。一体、私たちはどこを歩けばいいんだろう?屋台の間や前から迫ってくるバイク、オートリクシャをかわしながら道なき道を歩く。 喧騒を避け、木陰まばらなわき道に入りしばらく歩くと、木々の間に2本の塔が見えてきた。揺れるミナレットがあるという、スディ・バシール・モスク。民家が並ぶ路地に妙に溶け込んでいい感じ。少し開いた門を押し開ける。広い空間が目に飛び込む。塀に座っていた老人が私達に気がつき、入って来いと手招きをする。サンダルを脱いで、広い空間に足を踏み入れる。改めて塔を見上げる。小さなモスクの割には、圧倒されるほどの大きさと細かい装飾に目を見張る。ここのミナレットは揺れるというが、どうやって揺れるのだろうか?イランにある揺れるミナレットと同じものだろうか?ん?なんかミナレットの下のほうに赤い看板が架けてある・・・「近寄るな、崩れる」と書いてある。先日の地震せいか?それとも、もう寿命か?どっちにしろ、揺らす以前に危険ということだろう。しばらくベンチに座って青い空に映えるミナレットをボーっと眺める。それにしても、ここには、外の喧騒がまるでやってこない。たまに子供のはしゃぐ声が聞こえるくらいか?こう、ピンと張り詰めた空気が流れているのだが、何故かのんびりできる。この空間はとても心地いい。 「ダーダ・ハリ・二・ヴァンに行きたいんだけど・・・」そういうと、オートリクシャのにいちゃんは首をかしげた。そして、前にいたオートリクシャのオヤジにたずねる。そいつも首をかしげる。そして、その辺をあるいているオヤジに声をかけている。そんなこんなでガイド片手に大量のインド人に説明をする「これが、駅で、ダーダ・ハリはここなんだけど・・・」あーだ、こーだと分からない言葉で討論をはじめたインド人。そして、場所の特定ができると「25ルピーでいい」「いや、20ルピーだこっちに乗れ」と客引きを始めるインド人。結局、討論までしてもらって申し訳ないんだが、討論会に参加していなかった、にいちゃんのオートリクシャに乗ることにした二人。何の事はない、一番、安かったのだ。ガイドの地図を見せ、ここだと指すとブイーッと走りだした。途中、露店のオヤジに道を尋ねただけで、無事、ダーダ・ハリに到着。 地下へと向かって階段が続いていた。下っていくごとに、踊り場にある列柱が層になっていく。行きついた先は、円形の吹き抜けが美しい場所だった。強い日差しに輝いた空気がが、幻想的な雰囲気をかもし出している。昔は、ここに水があったのだろうが、今は水脈が移ってしまったらしく土で埋まってしまってる。シンと静まり返った、なにか物悲しい空間がそこにあった。ダーダ・ハリの裏手にミナレットがないモスクがあった。モスクの管理人らしき人が、見ていいというのでついでに立ち寄ってみる。小さいモスクだが、立派な装飾の礼拝所と霊廟を持っていた。2本のミナレットは、先の地震で崩れてしまったらしい。もうすぐ礼拝があるらしく、忙しく掃除をしていた。 バザールに程近い、ジャメ・マスジット・モスクへ。にぎやかな門前に立ち、モスクへの階段を上がる。すると、茶髪のオヤジが「おい、サンダルはここへ置いていけ」と半分脅しのように私達を急き立てる。サンダルを脱ぐと、オヤジがぱっと自分の前に並べている。別に預けるつもりはないが・・・あまり気にしないでモスクへ入る。やけに広い空間にぐるっと回廊が一周している。中央には、足洗い場があり、広場の一辺に礼拝所があった。回廊をてくてく歩く。足の裏がざらざらしている。先ほどのモスクもスディ・バシール・モスクもきれいに掃除してあったのに、一気に足の裏が汚くなったような気がした。 警備員のオヤジがやってきて、案内をするという。ガイドはいらないといったが、勝手に話し始めて私達の前を歩き出す。無視をする。礼拝所の中には、265本の柱が均等に並んでいた。8ビットと同じだけの柱があるというだけでやってきた私達。ポリゴンみたいな礼拝所を縫うように歩く。警備員のオヤジは、まだ、勝手に話をしている。そして、礼拝所を出たところで、金を請求してきた。「俺は、ガイドなんて頼んでない。オヤジが勝手にガイドしてたんだから払う必要ないだろ」そう言うと「バクシーシだから」と金を請求してくる。無視して立ち去る。 門を出ると、サンダルオヤジがうめちんのサンダルを取り出し目の前に出す。私のサンダルはしっかり手で押さえている。金を払わないと返してくれないらしい。預けるなんていってないし、勝手に持っていったくせに、別にボロだからいいか?と思ったが、25パイサ払うことに。財布を腹から出すと、私のサンダルを投げてよこした。25パイサ渡すと露骨に嫌な顔をして「一人2ルピーだ。4ルピー払え」と言ってきた。回りにいた奴らも加勢している。そんな、預かってくれなんて一言も言ってないのに・・・抗議していると、後ろからにゅっと手が伸びて5ルピー札をサンダルオヤジに渡して何か二言三言いい、急いでサンダルを履き立ち去ろうとしている男がいた。すると、サンダルオヤジが、もういい行けと私達に手払いをする。加勢していた人達もいっせいに手払いした。どういうこと?その男は、どう見ても一人だった。おつりをもらわずに階段を降りようとしている。ハッと気がついて、男を止めるうめちん。「あなたが払うことはない。これを受け取ってくれ」5ルピー札を財布から取り出すと「いや、いいんだよ」といってすばやく階段を降りていってしまった。なんだか後味が悪いまま、ジャメ・マスジット・モスクを後にする。 あれは一体なんだったのだろう?昼を食べながら考える。宗教や異国のしきたり、習慣は私達には分からない部分が多いと思う。彼らのしきたりに従うべきなのか?従いすぎてだまされてしまっては嫌な思いをしてしまう。完全に信用してしまってもいいものなのか、どこまでを信じていいものか、難しいものだと思った。 宿でシャワーを浴びて、ゆっくりした後、22時40分発のウダイプル行きの列車に乗る。こう言うとき24時間制の宿は楽でいい。今まで乗ったどの列車よりも幅は狭く、天井も低い。狭軌、日本と同じサイズの列車が、ゆっくりと駅を離れて行く。線路の幅が狭いために安定しなく揺れもひどい。あまりスピードも出せないらしく、ゆっくりと走っている。まるで、鈍行列車。一応寝台だが、横になるといっそう揺れが激しく思われる。トイレに行くのも一苦労といった感じ。シンと静まりかえった車内。乗っている人が少ないと言うこともあるのだろうが、物売りや物乞いが一人もやってこないと言うのが一番の理由ではないかと思った。あまりいすぎても落ち着かないが、ほんと不思議なくらいに一人もやってこない。チャイ飲みたいが・・・そんな感じでちょっと寂しい。もう、残された道は寝るしかないのだろうか?みんな寝ている。それしかないようだ・・・ |
2001.2.26(月) |