「天竺」目指して夫婦モバイル放浪 |
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k日記コロンビア編 2000.6.25(日) 牛次郎の気持ちを考えると今日の出来事は、当然の事なのかも知れない。朝、青山さんが、駐車場に牛次郎を迎えに行くと何故かエンジンがかからず、ダダをこねる牛次郎。仕方がないので駐車場のオジさんに後ろから押してもらって、エンジンを掛けてやっとホテルまでつれてきたらしい。 そして、カルタヘナを出発するが、交差点でバスが横入りしてきたので急ブレーキをかけたにもかかわらずブレーキがよくきかず、後3cmほどでバスにぶつかるところだった。青山さん曰くブレーキが利きづらいのはもとより、何故かブレーキを踏むとハンドルが右に振れ、ものすごい力で押さえてないと右に回ってしまうらしい。機嫌が悪すぎると思った青山さん。急いでブレーキ屋に向かう。 ブレーキ屋で解体が始まる。調べてもらった結果、ブレーキパットが均等についておらず、片方だけ擦り減ってしまっていて上手く働いていなく、しかも、ブレーキオイルがパッキンの隙間から漏れていて、なくなっていた。だからブレーキが利かないし、右だけブレーキがかかった状態になっていたのでハンドルが右に振れたのだと、メカニックが解説してくれた。 そして30℃の炎天下の中、修理が始まった。なんだか、おなかの調子が悪かった私。修理が終わるまで、寝ていようとマットレスに横になる。そして、いつのまにか寝てしまった。暑い、暑い、あついー、ほとばしる汗。ほてった体。気温はゆうに40℃は越えていただろうか?ココは、一体どこなんだ?砂漠の真ん中か?だるさと共に起き上がる。腹の調子は、よくならず。おまけに気分まで悪くなっていた。 青山さんに「そこにいたら死にますよ。脱水症状で」と言われ、のそのそ車を降り風通しのよい木陰に避難。牛次郎はまだ直っていなかった。 やっと直った牛次郎。ちょっと、ブレーキが引っかかる変な音がするが、一速でも二速でも走らないくらいに全然きくようになったブレーキ。これなら安心と走り始める。ブレーキ、全然利かなくなる前に治してよかった、よかった。みんなで天国に行く所だったねぇ、牛次郎。 南米の歌姫「シャキーラ」の生まれ故郷バランキージャを過ぎた所の高速道路に入った所で、またもぐずりだした牛次郎。青山さんからうめちんへ運転を代わろうと、エンジンを切ったが最後、押しても、引いても何をしてもエンジンはかからなかった。バッテリーか?それともヒューズか?いろいろ見てみたが、分からない。 しょうがない応援をと「パレ」(ストップ)の三角マークを片手に道路の真ん中で手を振る。そして無情にも手を振って走り去る車ばかりのなかに、ジャフのような牽引車が止まってくれた。彼らは高速道路で働くオジさん達で、高速道路で困った時のためにいるのだそうだ。運がよかったのだ。 そして、みんなでエンジンを押しがけしたり、バッテリーをもらってみたりと色々やったがやっぱり直らず。結局、そのジャフ車でバランキージャの料金所まで牽引してもらった。「今日は、日曜日だから整備工場休みだし、こんな時間まで開いてないから、明日にしなさい」と言うジャフの人の話を聞いて、今日は、看護婦、警備員もいて、トイレもシャワーも使える、設備の整った料金所で野宿する事に決まった。 牛次郎、どうしたンだろうね・・・たくさんの観衆の中、ご飯を作り寝る準備に取りかかる。蚊がたくさんいたので、蚊取り線香をたくさん炊き、窓には蚊帳を張ってみた。 機嫌の悪い牛次郎。たぶん二日もほっとかれて寂しかったのかも。だからすねていたんだろうか?でも、初の車で野宿は楽しいのだ。これで、牛次郎の機嫌も直ってくれたらイイのになぁ・・・ |
2000.6.24(土) |