「天竺」目指して夫婦モバイル放浪

 
 

 

k日記チリ編

2000.2.16(水)

 ビーニャの音楽祭は中南米3代音楽祭の一つといわれるほど有名らしい。それが、今日から21日まで開催されるらしい。そのためか、セントロの路上では、とてもうまいシタール(間違ってもうめちんではない)やフォルクローレなどの路上演奏者があふれていた。人も半端じゃないくらいあふれている。特に音楽祭出場者が泊まる高級ホテルの前は歩く場所もないくらい人だらけだった。そんな光景を横目にバスのターミナルへ急ぐ二人。そろそろ覚悟を決めてビーニャを脱出することに決めたのだ。ここは、いいところだけれど、いつのまにか時間が勝手に過ぎていく恐いところだと思った。物価高のチリにこんなに長居しては、後々苦労するのが落ちだとも思った。北上を開始しなければ。

 汐見荘で最後の夕飯を食べみんなにお別れを言って、コレクティーボに乗りこむ。「今度汐見荘に来たときは、もっと大きくなってて、インターネットとか出きるようになってるかな?」と主人に言うと「そうですねーハハハ」と笑って送ってくれた。また、いつか来れたらいいなと思った。

 22時45分定刻の出発。バスは、今だもってにぎやかなビーニャの街中をゆっくりと走り郊外へ向う。バスは、シートピッチが広くなかなか快適だった。ただ、乗るときに「カンビオデ、ブス、ア、ラ、フェーラ」とバス会社の人が言っていたのが気に掛かるが目的地のラ・セレナまでディレクトだといっていたのでそんなに気にすることもあるまいと街の明かりがなくなると共に深い眠りに落ちていった。

 バスが速度を緩め、停車した。どこかのバスターミナルに着いたらしい。たくさんの人が乗り込んでくる。眠い目をこすりながら、外を見る。もうすぐ満月なのだろう。円にだいぶ近い楕円の月が青白くすべての物を照らしていた。

 30分くらい停車して、再び走りはじめた。そして、また眠りのなかに引きずりこまれていった。不意に肩を揺さぶられ目が覚めたかと思うと「カンビオ・デ・ブス、アヤ」と助手君に起された。はあ、乗換えですか?と眠気眼で聞き返すと、そうだと急かされる。今まで乗ってきたバスを出て見るとどこかの道路ッ際であった。その側面にぴったり別のバスが横付けされていて荷物を移動していた。新しいバスに乗りこむと、私達の座る場所はあるのかと思うくらいすでに満杯の状態で小さな子供を親が抱いて助手君が席を確保してくれた。時計を見ると夜中の3時を廻っていた。何故、こんなところでバスを乗り換えなくちゃいけないんだ?と相当疑問に思いながらも眠さには勝てず狭いシートに苦労しながらも眠りについていた。

 私達を乗せた満杯のバスは、青白い月明かりの中を猛スピードで走って行く。

 
2000.2.15(火)