「天竺」目指して夫婦モバイル放浪

 
 

 

k日記チリ編

2000.2.2(水)

  快適な椅子ベットで寝返りを打った時に、大きな窓から真っ赤に染まった空を見た。しばらく、薄らぼんやりそれを眺めていたが、いつのまにか真っ暗な世界に戻っていた。あれは、夢だったのだろうか?ぱちっと目が開いた時には、大きな窓に真っ青な空が広がっていた。

 朝飯の後、操縦室を見学させてもらった。いろいろな機械やボタンがたくさん並んでいる。わくわくするうめちんもそこにいた。「船長椅子に座っていい?」と聞いていたがあっさり「ダメ」と断られてガックリしていた。

  昨日同様、ホエーと景色を眺めていると昨日同様、陽気なチリ人が話しかけてくる。どうも日本人がいることが珍しいらしい。みんな、同じ質問を繰り返す。「何処から来た?」「名前は?」「旅行か?」「これからどこに行く?」「君達二人は、友達か?それとも兄妹か?」「そうか、ハネムーンか。結婚おめでとう」「日本は何処に住んでるんだ?東京か?」などなど・・・一人一人に笑顔で答える。

 たまに子供がやってきては「これ日本語でなんて言うの?」「ドラゴンボールZって知ってる?」「僕と一緒に遊ぼうよ」とえらい早口でまくし立てられる。「もっとゆっくり言ってよ」と言ってもまだ早くて聞き取れない。で、その内ふいっと飽きて何処かに行ってしまう。台風のようだ。

  船は、入江が狭いところに進んで行った。山が近くに見え、建物がポツラ、ポツラ見えてきた。そろそろこの船とお別れの時がやってきたようだ。甲板では、お笑い芸人がさようならパーティーをやっていた。プエルトモンは、アンヘルモ港を見ようと甲板に出た私達は、すぐにこのお笑い芸人に捕まり、チリ人達の笑いの道具にされたのは言うまでもなかった。

 チリ人の前で、質問攻めに合い、しまいに坂本九の「上を向いて歩こう」を歌わされてしまった。小さなキーホルダーを握らされてやっと開放された頃には、船はすでにアンヘルモ港に接岸された後だった。

 手早く荷物をまとめ、階段を降りて薄くらい鉄の壁から光の中に吐き出されたとき、プエルトモンは、暖かいなぁと肌で感じた。

  アンヘルモを見ようと思ったが、荷物が重いので一旦宿に戻って見ることにする。宿に行くと、あーら帰ってきたわと結構冷たい対応。部屋はあるか?と聞くとあると言ったが、料金は一人4000ペソと言う。いくら交渉しても前泊まったときの値段にはならなかったのでプエルトモンに泊まるのを断念。預けておいた荷物だけ受け取って、サンチャゴにすぐ帰ることにする。

 バスのターミナルで一番安いサンチャゴ行きのバスチケットを購入。うめちんはアンヘルモへ海藻を買いに出かけ、私は荷物番としてバスのターミナルで待つことになった。そして、時間ぴったりにバスは出発した。安いからぼろバスかと思っていたがそんなに悪いものでもなかった。が、それは、ちょっと間違いだった。

  薄い太陽に薄い青空、そして薄いオレンジ色の夕焼けが微妙に混じって微妙な色合いでバスを照らしていた。黄金色の草原を、低い陽射しで作られた長い長い影バスがいっしょに走っていた。そして、いつのまにか影バスは長く長くなりすぎて何処かに行ってしまい、バスは暗い草原を走りつづける事になる。

  2、3時間も走ったか、車中の電気を消され就寝タイムに突入した頃になると何処からともなくトイレ臭い風が流れてきた。なかなか眠れない上にそんな匂いが充満されたらたまったもんじゃなかったが、臭いのしない方向を探して眠ることに。幸い、バスはがら空きだったので2つの席を1人で占領して横になれた。うめちんは、体が大きいので悪戦苦闘していたが、結局座った体勢で寝ていた。

  だいぶ寝慣れた頃、突然バスがぐわんと横に揺れたかと思ったら急にブレーキを踏んだらしくスピードが落ちた。思わず椅子から落ちそうになったが肘掛にしっかと捕まって難を逃れた。なんだったんだ今のは?と体勢を立てなおして、また寝に入るが、しばらくしてまた同じようなことが起こった。大方、運転手の居眠りかなんかだろう。とんだ安バスだと思った。その後、そんなことが何回かあったかもしれないが気がつかずに眠りこけていた。

 都会に向けて休みもなく走りバスは走り続ける・・・

 
2000.2.1(火)