「天竺」目指して夫婦モバイル放浪 |
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k日記チリ編 2000.1.14(金) 夢の中でドアをノックする音がした。取り合えず「はい」と答えるまでは覚えているが、その先は記憶がない。ふと、目覚めたときには7時40分をゆうに越えていた。ああ、ドアをノックしたのは夢じゃなかったのね。と、思っている暇も無く、急いで支度をしてバスに飛び乗り、シートに座ったと同時に眠ってしまった。本当に朝に弱い二人である。 牧場のような草原の砂利道を走っていた。パイネ国立公園のゲートが見えてくると突然、道路ッ際に鹿みたいな動物の群れが目に飛び込んでくる。しかも、バスが走ってきてものんびりと草を食んでいる。あれは・・・この辺で有名なグアナコと言う動物だと後で知った。この辺は野生の動物の宝庫らしくいろんな動物がみれるのだそうだ。 ゲートをくぐると今度は、人がたくさん群がっていた。レンジャーがバスに乗りこんで来て公園内の事を少し説明した後、入場料を払いにバスを降りる。バスのドアが開いた途端冷たい風がゆるゆると吹いていたが、陽射しが強いのでほかほか暖かい。ポケットから入場料を払ったらほとんどのペソが無くなっていた。暖かいのは、陽射しだけ・・・後は、寒いものばっかりだ。 宿で買ったチケットは、公園内の3箇所(RagunaAmargaとLagoPehoeとGuarderia)で止まることになっているらしく、3箇所の何処からでもトレッキングを開始出きるし終わることも出来る往復チケット制になっている。私達は、入場料を払った管理事務所(RagunaAmarga)から出発する事に決めていたので、入場料を払った後、そのままバスを見送った。そして、重い荷物を担ぎ本格的なトレッキングをした事の無い私達のトレッキングが始まったのである。 RagunaAmargaで荷物の点検と準備をしているとバスに乗っていたオジさんがそそそーとやってきて「お前らトレックか?」と聞いてきた。はて?何を聞いてるんだこのオジさんと首をかしげていると「FantasticoSur(リゾートホテル)まで車で行かないか?そこまで歩くと2時間はかかるぞ。どうする?」ん?地図を見ると確かに道が実線で太く書いてあり道沿いに小さく「2.5h」と書いてある。「2.5時間歩くのか・・・うーん」といきなり考えてしまった。なんてダメなトレッカーなのだろうと思ったが「タダか?」と聞いて「一人1500ペソ!とっても安いよ!!」と言う言葉を聞いた途端、歩きたくなった。ダメトレッカーを撤回しいきなりゲンキンな優良トレッカーに変身した。 そんなこんなで車も走れる、ある程度広い砂利道を歩き始める。何処までも草原が広がる道端には、グアナコが群がり、歩いている私達なんかお構いなしで草を食んでいる。風が湖の水面を掻き立て草がさらさらと音を立てて私達を迎えてくれる。そんな風景がまじかで見れた。心が和む。 そんな気分に浸っているのもつかの間、歩き始めて3分、うめちんが「腹減った、朝ご飯にしよう」という言葉で一気に崩れ去った。道をそれ、グアナコの群れがいる草原へ足を踏み入れグアナコといっしょに朝ご飯を食べることにする。グアナコがいるためか、他のトレッカーがこちらを見ては手を振って去って行く。パンを食べ、少しお腹が脹れると暖かい陽射しが襲ってきて体を温めてくれる。そうなると一気に歩く気力が萎えてくる。ダメトレッカーの本領発揮。ぽかぽかのまどろみの中で美しい風景を見ながらしばらくボーっとしてしまった。このまま帰りのバスに乗っちゃおうかぁ・・・とまで思ってしまったくらいだ。 冷たい風が頬にあたり、まどろみの中から引きずりだされた。そうだ、ここにはグレイ氷河(GlagiarGrey)を見に来たんだよ。歩こう!!ととぼとぼのろのろ歩きはじめた。そして、30分ほど歩いただろうか?踵がなんとなく痛い。休憩がてら、見てみると靴下の踵がすれて破れてしまって赤くなっていた。新しい靴下を出すには、荷物を全部ひっくり返さないといけないし、どうしようと思っていたら、「昨日履いていた奴だけど」と、うめちんが靴下を貸してくれた。ありがたく借りたが、臭いのが移りそうなので穴の開いた靴下の上に履くことにした。「うめちんの臭いのが移ったら私、生きていけないし、靴脱いだ途端、廻りの人間も直ぐ即死だよねぇ」なんて冗談を飛ばしながら、快調に歩き始めた。冗談を飛ばせるほど、まだまだ余裕があった。 自然と「アルプスの少女ハイジ」の歌が口から出てくるような風景が何処までも続いた。そして、FantasticoSurが見えてくると同時にパイネの氷河を頂いた険しい山々が徐々に大きく私達の前に現れた。途中の川で汲んだミネラルウォーターを飲みながらしばらく眺めていた。 FantasticoSurを横切り、このホテルから約2時間の所にあるRefugioChileno(避難小屋チレーノ)に向う。今日は、そこのキャンプサイトで泊まる予定。木が生茂った涼しい道を歩いていると、向こうから見知った顔がてくてく歩いてくる。あーー、こんなところで合えるなんてーーと大きく手を振っていると向こうも気付いたらしく手を振って答えている。プエルト・モンからいっしょのバスだった日本人だった。 彼は、私達より先にパイネに入っていて、私達の予定したルートを逆に歩ってきたと言う。「で、もう帰りですか?」と聞くと「イヤー、まだ帰りませんよ」はて?こっから歩いたら帰るしかないんだがなぁと思っていると「イヤーどうしてもコーラが飲みたくなっちゃって、そこのホテルなら売ってるんじゃないかと思ってね」で、もう一人の日本人と途中で別れてここまでやってきたら私達に遭遇したと言う訳だった。「じゃあ、ちょっと売店に行って来ます」と言い残し、そして2.2Lのペットボトルを抱えて帰ってきた。「ささ、いっしょに飲みましょう。コーラは、冷たいうちが花ですから」とご相伴に預かり、やっぱりここにもコーラはあったか・・・とコーラの偉大さを思い知らされた。 コーラで喉が潤い、休憩を十分したところでRefugioChilenoに向けて3人で歩き始めた。のんびりと平坦な道を歩きマリンブルーの綺麗な川を横目につり橋を渡ると、そこでトレッキングルートが行き止まり、変わりに傾斜35度はあるだろう崖が立ちはだかっていた。はて?トレッキングルートは・・・と廻りを見渡すが、それらしきものが見当たらない。そこに止まって考えていると、後ろからやってきたトレッカー達が私達を追い越し目の前の崖を登り始めた。 そして、コーラを買いに来た日本人も登り始め、うめちんが後ろから「ほれ、ここ登るんだよ」と突っついた。「えーこんなの登るの?登れるんかぁ?」と叫ぶと「登れるよ」と一言いい残し、ひょいひょいと登り始めた。始めッからこんなにきついなんて聞いてないよーと泣き言を言いながらしかたなく登り始め、登りきった時には一生懸命、肩で息をしていた。 そして、目の前にあったのは長い長い下り道だった。「あんなに登らせといて下ること無いじゃないかー」とまた泣き言を言っているとまた崖が立ちはだかる。そんな峠を何度となく越えると行く手の山間に小さな小屋が見えてきた。後ろを振り向くと大きな色の違う湖が2つ見え山々の緑がきらきら輝いていた。そして、ぱっくりと開いた深い谷底には、マリンブルーの綺麗な川がすごいうなりを上げ、しぶきを上げながら勢いよく流れていた。こんな風景を見ると来てよかったと本当に思う。 この辺の山は、砂利層らしく大量の砂利が山肌から谷に向って流た後がいくつも見られた。それを横切るようにホンのちょっと道が出来ている。人とすれ違うとき、間違えばすべり落ちてしまうのではないかと思うほど砂利はもろかった。そんな、道を延々と歩き川を渡った所にRefugioChilenoはあった。RefugioChilenoから山肌を見ると砂利が山肌をいくつも流れ落ちた景色が大きく見えた。 RefugioChileno内にあるキャンプ場に向う。先に行ったうめちんが、何やら騒いでいる。どうしたの?と聞くと「金取るんだよ。しかも、1人辺り2000ペソも」ええ!そうなの?お金の無い私達は、迷わずRefugioChilenoの近くでテントが張れる場所を探した。そして、RefugioChilenoの並びで数メートル離れた川沿いの山の中にイイ場所を発見しそこにテントを張った。そこは、どう言うわけか石で炉が組んであり薪まで用意してあった。前にテントを張った人がいたのだろうと単純にそう思った。同じ考えの人がいるのだ。 腹が空いては、戦は出来ぬとはよく言ったもので、テントを張ったら力が抜けた。急いでご飯作りに取りかかる。出来た頃には、もう一人の日本人も山から帰って来ていたので、火を囲みいっしょにご飯を食べ話しをした。「ワインでも買って来ますかぁ」と立ち上がり土手を降りた日本人とすれ違いに、赤いトレーナーを着たスネ夫顔の男が登って来た。そして、炉の中の焚き火とテントを一瞥して、うめちんに向って「火は熾しちゃいけない。それに、ここにテントを張るならお金を払ってくれ」と言って来た。はぁ?なんでと反論すると「ここはRefugioChilenoの土地だからだ」と当たり前のように言った。金を払う気のないと言うか、払えない私達は「ここがRefugioChilenoの土地だって言う証明はどこにあるずら、ええ。それを見せるずら」と取り合えず強気に出てみた。すると「次のキャンプ地まで私達の土地だ。それにここでは、キャンプ地以外ではテントを張っちゃいけないことになっている。さあ、金を払ってくれ」と向こうも強気に出てきた。 負けるもんかと意地になるうめちん。「私達は、公園の入場料を払っているだ。それに、キャンプ地以外にテントを張っちゃいけないなんて聞いてないし、そんな但し書きも見ていないずら。火は今すぐ消すだば土地の証明が出来ないのなら金を払うのはおかしいずら」ともっと強くでてみる。すると「金を払わないでここにテントを張るって言うのなら、警察を呼んでここから追い出してもらうしパイネから、いや、チリから国外退去になるがイイのか!」ともっと強く出たが「そんれがどうした。やれるモンならやって見ればいいずら」と払う金が無いんだもんしかたないジャンと開き直るうめちん。 しばらくの間、額に手をあて考えるポーズを取った彼が「私は問題を起こしたくないだけなんだ」と折れた。勝利!!でも問題は解決していなかった。「金を払ってくれないんだったら、ここを出てフリーのキャンプサイトに行ってくれ」なに?フリーのキャンプサイトがあるの?なんでそれを早く言わないのさと彼をちょっとだけ責めたてると「君達が3時ころやってきたの知ってたんだけどさぁ・・・」と言葉を濁した。それを聞いた途端、火を消し場所を聞いて移動することにする。 そそくさと荷物をまとめている私達を横目で見ていたスネ夫がうめちんに向って「ねえ、ここには暖かいシャワーもあるし小屋の中は暖かいよ。なんかあったら直ぐ駆け込めるしさぁ。ここに泊まって行ったほうがいいんじゃない。次のキャンプサイトは遠いしさ、もう直ぐ暗くなるよ。ねッねッ」と一生懸命、勧誘の言葉を吐いていたがそんな言葉は、もう、耳に入らないのであった。 時刻は夜の8時45分。空が薄っすらと白くなりかけている。急がなければ、キャンプサイトにつく前に暗くなる。「せっかく買ったんだから、ワイン飲んでから行こうよ」とのんきな事を言ってるうめちんの背中を押し、2人の日本人と再開の別れをしてそそくさとRefugioChilenoを後に歩き出す。これから向うフリーキャンプサイト「CampamentoTorres」はRefugioChilenoから1.5時間ほど山を登った所にあり、Torresと呼ばれるビューポイントの登山口にある。 早くしないと暗くなるという気持ちが働いたのか、1.5時間の行程を50分程で到着してしまった。暗いうちに歩かなくて済んだのだが、残念なことに、廻りの景色も何もかも見忘れてしまった。ただ、険しい山肌に残った氷河の青さだけは目に焼き付いていた。キャンプサイトの入り口にたどり着いたときは、険しい山肌に雪を頂いた山々が、夕陽で赤く化粧をして出迎えてくれた。言葉を失うくらいに綺麗だった。 テントを張って荷物を解く頃には、夕陽も姿を消しすっぽりと薄暗くなっていた。寝袋を開くとどっと疲れが押し寄せてくる。ああ、なんて長い一日だったのだろう・・・だいぶ歩いたなぁ、からだのあちこちが痛い。汗で濡れた服を乾かすまもなくそのまま寝袋に入ると、深い眠りの中に引きずりこまれて行った。 |
2000.1.13(木) |