「天竺」目指して夫婦モバイル放浪

 
 

 

k日記ボリビア編

2000.10.22(日)

 指定された時間に朝ご飯を食べ、出発を待つ。でも、いつになっても出発する兆しすらなく、荷物を車に積む気配もない。見れば、運転手はのんびりとご飯を食べている。なんだよ、自分で時間を指定しておいて、そりゃないだろうが。やっと荷物を積み始めて、出発するまで1時間も待たされた。

 やっと走り始めて、一時間。平地が広がる場所に出る。茶色から白へだんだんと変わって行く大地は、見ていて楽しかった。ゲートをくぐると、一面白の世界が現われる。世界最大の塩の湖、ウユニ塩湖。1万2千平方キロメートルの湖の水面は、7〜8mほどの厚さの塩の蓋がしてあり、ここには約20億tの塩があるらしい。

 腰を下ろしても、寝転がっても、逆立ちをしても、白、しろ、シロの世界。塩の道路は、固く、波型に形がつきアイスバーンの様だった。あまりスピードを出すとタイヤがバーストすると運転手が言っていた。空の青と塩の白が美しく、遠くには、蜃気楼が島を作っていた。まるで水面に浮かんでいるように見える。「オーイ、しゃがんでくれ!!」私に向かってビフ君が叫んでいる。へ?なんで?と思ったらいきなりズボンを下ろし始めた。あわてて、腰を下ろす。どうやら、素っ裸で塩の上に寝転がったり写真を取ったリしているらしい。同様にミハエル君も生まれた時の姿になっていたらしい。吹き出す男ドモ、さすがの運転手も笑っいながらクラクションを鳴らしていた。

 どこまでも白の道路を軽快に走る。遠くに蜃気楼にゆらゆら揺られる島が見えてきた。Isla De Pescado(イスラ・デ・ペスカド)魚の島。なぜ魚の島と言うのか分からないが、サボテンがたくさん生える小さな島だった。島の一番高い所まで登ると一種異様な景色が望めた。サボテンの島が美しい海に浮いているように見える。奇妙だった。

 魚の島で昼食をとる。パンをかじりながら風に揺られるサボテンを眺める。あれ?不思議な光景が目に止まる。運転手とビフ君が仲良くしゃべっている。さっきの裸踊りがウケたのか?どうしたんだろう?みんなで首をかしげる。

 白の大地を走る。次第に大地の塩が、ひび割れ、綺麗な形い変化する。Ojo De Salar(オッフォ・デ・サラール)塩湖の目玉は、塩の蓋がぶつかり合い、くっ付き、皿の様になったもの。空の青もまぶしいが、塩の白の方がまぶしく目を開いていられない。

 運転手が、皿の割れ目に手を突っ込んで何かをしている。見れば、穴から水が見える。結構深いような感じ。そして、突っ込んだ手を引き上げるとそこには、一辺が5cmはある塩の結晶が握られていた。スゴイ!!こんな大きな結晶は見たことがない。早速、湖に手を突っ込む男ドモ。相当、冷たいらしく長い時間、手を突っ込んでいると感覚が無くなるらしい。時間が立つのも忘れ、より大きなものを探して、果てなく塩湖に手を突っ込む男ども。いつのまにかビフ君とミハエル君たちと一緒になって手を突っ込む運転手。そして、ロジャー君の「Best Friendo?(良い友達?)」一言に吹き出す私達。なんだ、仲直りしたんだ。私達の気使いは何だったのか?まあ、楽しいから良いことにしよう。さんざん、塩湖の手を突っ込んで塩吹き魔人になって帰ってきた彼らを乗せ、走り出した。

 ウユニ側の入り口に塩のホテルがあると言う。塩のホテルって全部塩なの?そんなぁ・・・と思っていたら、屋根とドアと窓以外は、すべて塩で出来ていてびっくり。もちろん机も椅子もベットも塩。外壁の塩レンガも、塩の接着剤でくっ付いていた。よくやるよ・・・感心を通り越して呆れてしまった。

 白の世界ともお別れ。ウユニの町へ到着。いろいろなことがあったが、こんな過酷で人間模様がレアなツアーは他ではお目にかかったことがない。嫌なことはあったが、結局のところ楽しかったの一言で終わってしまった。コレからの彼らの試練と旅の無事を祈りながらビフ君とミハエル君に別れを告げる。やけに日本のことを知っているやさしかったロジャー君にも楽しかったねとさよならを言った。みんな元気でね。

 そして、私達の過酷な旅はコレから始まる。一晩かけて、サン・ペドロ・デ・アタカマに戻らなければいけない。指定された時間にツアー会社に戻ると一台の車が待っていた。乗り込み、闇の中に走り出す。道無き道を走る車。あっちへ曲がったりこっちへ曲がったりとしているが、なぜ分かるのか?本当に、アタカマに向かっているのか?不安になった。

 たまに時間を聞く運転手。この人は、星を見ながら走っているのかもしれない。信じるしかないのだと不安を振り払う。未舗装のひどいがたがた道に眠れない三人。そして、ありがたいことに小さな村で、宿を取ってくれた。ベットが整然と並べられた部屋に通され、埃臭い布団に包まった。そして、記憶が無くなった。

2000.10.21(土)