「天竺」目指して夫婦モバイル放浪

 
 

 

k日記インド編

2001.5.15(火)

 寒さで目がさめた。まだ、あたりは暗い。掛けるものがないのでうめちんが脱いだ服を羽織る。これで少しマシになった。再び、眠る。ふと、目がさめると寝ているうめちんの手が私の点滴のチューブを押さえていた。彼の手をよけると何でもなかったように点滴が始まった。再び眠りにつく。明け方、また寒さがやってきた。目を覚ますと点滴ビンが空になり、チューブの中ほどのストップダイアルの下で止まっていた。うめちんをたたき起こし、看護夫を読んできてと頼むが「これをこうしておけば大丈夫」ダイアルを一番下のところまで押して、再び寝てしまった。ほんとかなぁ?半信半疑で手を動かしたりしてみたが水位が変わることがなかったので再び眠った。

 ドンドン、ドアをたたく音。点滴チューブでつながれた私は動けないので、うめちんをたたき起こす。寝ぼけ顔で、カギを開けるとほうきを持ったおばさんがズカズカやってきた。そして、いきなり掃除をはじめた。銀色のボールから昨日使った注射器やアンプルビンを無造作に床にこぼし落としてほうきで掃いて部屋の外に出していた。アンプルビンなどは割れてしまっている。点滴の針など剥き出しのまま、床にほうり出される。ボールに入れている意味がないじゃないか・・・その後、濡れた雑巾でおおざっぱに床をふいていた。あれでは、裸足のインド人入院者や何より、掃除の人が感染病にかかってしまう。そんなことは、気にしないのか?二人で呆然と眺めるうちに看護夫さんがやってきた。点滴液とチューブの中が空っぽなのを確認して、きびすを返して部屋を出て行き、同じビンを持って帰ってきた。手際よく点滴ビンを取り替える。今日も一日これに縛られるのね・・・ため息が出た。うめちんは、私の着替えと朝食を取りに久美子ハウスに戻っていった。

 うめちんが帰ってきた頃、二人の看護婦さんがやってきた。「部屋を変えましょう。ここは、4時になると暑いから・・・」そういって、私たちの荷物をずべて持ち、点滴ビンを持って私を誘導してくれた。その部屋は、前の部屋の倍の広さにクーラーのついた一等涼しい部屋だった。高そうな部屋だなぁ・・・ケチな二人には、そう見えた。

 その部屋は、風は通るし、日が当たらないのでクーラーがなくても快適だった。昼ご飯は?と聞きに来たので、頼んでみた。やっぱり、カレーかね?そんな創造をしていたが、中華味のベジタブルスープにご飯とフルーツ。味も悪くなかった。夕飯は、病院食かこれがと思えるほど油っぽいチョウメン(しょうゆ味のヤキソバ)だった。でも、食べられないわけじゃないし、カレーじゃないのでいいことにした。

 昼を食べた後、先生がやってきた。「検査をしよう」点滴をはずしてくれた。看護婦さんがこっちこっちと外から手招きをする。サイクルリクシャが現れた。どこかへ行くらしい。リクシャを降りて、小さな建物に吸われる3人。検査って何するんだろう?入り口でお金を払って、奥へ進む。たくさんのインド人が待っている。しばらく椅子に座って待つと、看護婦さんがドアの向こうから手招きをした。狭いドアを開けるとひんやりした空気が顔に当たった。涼しい・・・見れば、毛むくじゃらのインド人が横たわってエコー検査を受けている。私の番がやってきた。エコーの先生はどうやらインド人ではないらしい顔立ち。外人の私たちを見て「どうしたんだ?」と聞いてきた。「いや、何が悪いんだかわからないが熱が下がらないんだ、彼女。それで、今、入院している」「そうか・・・」ゼリーを腹に塗ったくってバーコード読み取り機のようなものをあちこちに当てはじめた。先生、なんだか渋い顔をしている。ものの数分で終わったが、先生の渋い顔が気になる・・・リクシャで再び病院へ帰ると、今度は血液を採るインド人が待っていた。5mlとメモリのある注射器いっぱいに血を採って去っていった。小さなビンを持ってやってきた看護婦さんが「これに尿をちょうだい」といって去っていった。あまりにも小さなビンなので尿を入れるのに相当苦労してしまった。

 黄昏とともに熱が出てくる。先生がやってきて、再びアンプルを打ってくれた。このアンプルを打つとすぐ眠くなる・・・記憶がなくなった。

2001.5.14(月)