「天竺」目指して夫婦モバイル放浪

 
 

 

k日記チリ編

2000.1.27(木)

 朝6時30分発のリオ・ガジェゴス行きのバスに乗る。宿のドアを開けると、薄暗い空に冷たい風がすーと吹いていた。お世話になった宿の主人に見送られ、歩き出す。振り向くと、玄関先に宿の主人がちょこんと立って手を振っていた。涙がホロリと頬を流れた。いい宿だったなぁ・・・。

 バスに乗りこむと、私達を待っていたかのようにすぐ走りだした。プエルト・ナタレスの町から見える雪を頂いた山々が、どんよりとした雲の隙間から光を浴びて輝いていた。そんな風景が見えなくなると、何処までも続く草原地帯が現われる。そして、しばらく走ると国境が見えてきた。無事チリを出国し、アルゼンチンにも無事入国できた。アルゼンチンに入ると、未舗装のガタガタ道が続いたが、めずらしく早起きをしたためか国境を越えた辺りからの記憶がぷっつり切れている。気がついた時には腰の痛みと共にリオ・ガジェゴスのバス・ターミナルに着いていた。

 昼ご飯を食べ、いよいよヒッチハイクを実行することに。その辺にいたおばちゃんに「コモドール・リバデビアつうとこまで行きたいんだけんど、何処でヒッチハイクすればいいずら?」すると「一番向こうの道路でこうやっていれば捕まるわよ。がんばんなさい」と親指を立てヒッチハイクの格好をしてうれしそうにそう言ってくれた。おばちゃんに言われた地点に行ってみると大きなガソリンスタンドがあり北に向かう道路車線があった。ガソリンスタンドを見ると、大きなトラックがたくさん止まっていて、今しがたここに運んでもらったヒッチハイカーがトラックから降りている光景まで見えた。これダーとヒッチハイカーが荷物を降ろしているトラックに聞きに走る「北に行ぐかい?私達をタダで乗せて行ってくれっどありがたいんだけんど?どうずら?」「北には、行くけど・・・ダメだよ」と言うことで1回目は不成功。しばらく、道路ッ際に立って見ることに。何十台となく車は、通り過ぎて行く。止まってくれる車は1台もナシ。「ガソリンスタンドで声をかけまくった方が早いんじゃないのかなぁ?」と提案する。ガソリンスタンドを眺めながら、考えるうめちんが目を見張ッている。?と振り向くと、向こうで大きなトラックの窓から手を大きく振っているのが見える。私達に手を振ってるの?分からないが行ってみようと走り出すうめちん。遠くでトラックに声を掛けているうめちんが見える。しばらくするとこっちに向って走りながら両手で大きく○を作っていた。走ってくるうめちんに「うそ!もう捕まったの?」聞くと「そう、なんだよ。しかも、コモドール・リバデビアまでつれてってくれるってさぁ」とニコニコ顔。荷物を背負って急いでトラックに走り、お礼を言って乗りこむと、禿げた一見強面のお兄さんと一見強よそうなおばさんが座っていた。バンとドアが閉められ、待ってましたとばかりにそのトラックが出発した。ヒッチを始めて10分程で一気にコモドール・リバデビア行きのトラックをゲットしてしまったのだった。そして、リオ・ガジェゴスからコモドール・リバデビアまで約800km、約8時間から9時間の行程をこのトラッカー二人と過ごすことに。

 走り出してすぐ、飴をもらった。なんでも、ウシュアイアに荷物を届けて、これからブエノス・アイレス近くの我が家へ帰る予定だとか。「あのガソリンスタンドには、8時頃ついて仮眠とってたんだよ。出発しようと思ったら。君達が見えたんで声をかけたのさ。どのくらいあそこに立ってたの?」とテンポよくしゃべっている「リオ・ガジェゴスには12時に着いたずら。それからだから10分も立っていなかったずら」「へー君達、ラッキーだねぇ」と愉快に笑った。そして、長い長い何処までも草原が続くパンパを走りながら、いろいろな話しをした。

「トラックに乗ってると暇なんだよ。で、これが友達さ」とアマチュア無線の機械を指し「でも、パタゴニアではそんなに電波入らないんだよ。1日1人つかまればいい方かな?」そして「最近、これも使ってる」と携帯電話を2台指差し「何処にもアンテナ立ってるの見えないんだけど、使えるんだなこれが」とうれしそうに電話を掛けるふりをする。そういえば、この草原にアンテナなんて物は見えないなぁ。と言うか、草原以外何もないじゃあないですかと言った方が正解のような気がするほど、平坦で何もない。「君達を乗せてよかったよ。お喋り相手が出来てさぁ」と二人でニコニコ笑っていた。そして、マテ茶を振舞ってくれ、途中でサンドイッチやジュースなど夕食までご馳走してくれた。「うめとうめこは、どう言う関係?」と聞かれ「夫婦ずら。あなたたちも夫婦け?」と聞くと「そう見える?実は・・・姉弟なのよん」とくすくす笑っわれた。「どうやって知り合ったの?仕事の関係とか?」「イヤーインターネットずら。E-Mailってしってっか?それで、手紙のやり取りしてて、こいつ捕まえたずら」と言うと「お前、いいなぁ」と恨めしそな顔で「俺もいい人できないかなぁ」と神様に願っていた。

 そんな、たわいのない話を延々続けている内にいつしか、平らな草原の向こうは、真っ赤に燃えたように赤く、その上からどんよりと薄くらい闇が迫っていた。そして、闇の世界に支配されていった。

 距離表示板を見るたびに距離が減って行く。それを見ながら歓声を上げては、みんなで喜んだ。どのくらいの時間が経過したろうか?国道を反れ、トラックが1つの町に入る。町の公園の前を通るとチリのバスがたくさん止まっている場所があった。表示を見るとコジャイケとかカストロ行きになっている。「あれに乗れるだろうか?」とボソッと言うと「いや、知らないが・・・」と言った瞬間、スピードを出して走り出したかと思うと、ユーターンしてバスがいる所に戻ってきた。「待っててやるから、聞いてきな」「ええ、そんなの悪いずら。置いていってくれてもいいずら・・・」「いいから行ってこい」とトラックを追い出される。と同時に「俺も一緒に行く」とトラックを降りて着いてきた。

 バスの運転手らしき人に声を掛けるうめちん「ここから、コジャイケまで乗せて行って欲しいんだけんど・・・」すかさず「ノー」と返って来た。「どうしてだ?」とトラッカーが聞くと「チリのバスは、アルゼンチン側では客を拾っちゃいけないことになっているんだ。だから、乗せたくても乗せられないんだよ」と申し訳なさそうな顔をしていた。「お願いだから、乗せて行ってやってくれ。州チェックが問題なら、州の端までは俺が乗せて行くから。お願いだ」とトラッカーが言うと「ウーン・・・じゃあ、国境まで乗せて行ってあげるけど、国境の手前で降りるんだったらいいよ。それと、運賃は払ってくれよ」といってくれた。「じゃあ、国道の別れ道まで乗せて行くから、そこでこいつら拾ってくれ」と口約束してバスの運転手とわかれた。そして、トラックに乗りこむと猛スピードで国道を走りだした。

 別れ際、思わず泣けてしまった。こんなに親切にしてくれたこの人達と別れるのが悲しかった。と、同時に人のいいこの人たちの心に感動してしまったのである。「泣かないで、うめこ。また、会える時が来るわ。泣かないの」とたくさんの飴と共に固い握手を交わした。そしてトラックを降り、手を振る。しかも、バスがやってきて、私達を拾ってくれるまで、ずーっと見守っていてくれた。バスが来なかったらまた拾って連れて行くつもりだったのだろうか?それだったら申し訳ないと思い、何度も「行かないの?」と聞くと「いや、休憩だから」と答えるばかり。すごすごと分かれ道に帰っていく他なかった。

 バスに乗りこみ後ろを振り向くと、やっと走り去って行った。本当にいい人たちだった。こんな人達に支えられて旅をしているのだと思うと胸いっぱいに感動が押し寄せてくる。旅は、いいもんだとつくづく思う。

 バスは、未舗装のガタガタ道を猛スピードでひた走る。石つぶてが車体に当たる音がひっきりなしに聞こえ、細かい振動が体をも揺らす。バスの中は、砂埃の匂いに満ちていた。

 
2000.1.26(水)