「天竺」目指して夫婦モバイル放浪

 
 

 

k日記ボリビア編

2000.4.12(水)

 ボリビアに戒厳令が発動していると言う情報を耳にする。一体、大統領は何の声明をした訳?と聞きたくなってしまった。ラ・パスに行っても身動きが取れないという情報も耳にした。じゃあ、駒を動かしても意味がないじゃない?と思ってしまった。下手をすると国境閉鎖なんて事態にもなりかねないと思い、一旦、ペルーに帰る事にする。早速、行動開始。荷物をまとめ、メイン道路脇で車を捕まえようと車を待ち構える。そして、やっと捕まった車は、私達が荷物を取りに部屋に戻った隙にどこかに消えてしまった。呆然自失・・・

 宿の前に溜まっていたパッカー数人に尋ねると「国境までの道路は、大きな石が置いてあるので通れないと軍隊が言っていた」そうだ。「今、船を聞きに行ってるから、ちょっとまってなよ」と言ってくれた。ので、せっかくだから便乗して国境まで船で行く事にする。

 船は、思い思いの外人を乗せて静かにティティカカ湖を進んで行く。ようやくコパカバーナともお別れ。でも、長居をすると愛着が沸くもので、最初は嫌な所だと思っていたが、結構いい所だったと思えてしまう。こんな事がなければ、こんな感情は起こらなかったかもしれない。もう、二度と来ないだろうなぁ・・・

 1時間も船に揺られただろうか?船頭は、桟橋のない岸辺に船を寄せた。靴を脱ぎ、裸足で岸に降り立つ。ここから、土手を登って、民家の脇を通り、人の畑のあぜ道をすり抜け、ボリビア側の国境に到着。来た時の活気はどこへやら、閑散とした国境。

 ボリビア側の道路を見ると大きな石が道の真ん中にゴロゴロ置いてある。ああ、あれじゃ車通れないわなぁと思う。イミグレのおじさんも客がくるとどこからともなく現われ、判をつき終わるとイミグレを閉め、またどこかに行ってしまう。ペルー側の国境も同じだった。スエット姿のオジさんがフラ〜とやってきたかと思ったらイミグレのオジサンだった。しかも、暇そうにハエをはたいていた。と言うことで、無事、ボリビア脱出。

 タクシーを捕まえユングーヨの町へ。途中、歩いて国境に向う仲むつまじい外人さんカップルを見かけたが、これからボリビアに向ってどうするんだろうか?ペルー国内には情報がとどいてないのかしら?とよっぽどボリビアの情勢を教えてあげたかったが、あまりにも仲むつまじいのでやめた。

 ユングーヨからプーノ行きのバスに乗り、すぐ出発。なんのことはなく午後3時にプーノに到着した。その足で、クスコ行きの夜行に乗ることに。クスコかアレキパか・・・と考えた末に友達がいるクスコに決めた。

 朝からパン1つしか食べていなかったのを思いだし、ご飯を食べにプーノの町へ。ついでに旅行会社で、ラ・パス行きのバスがあるかどうか試しに聞いてみることに。すると・・・「ラ・パス行きならあるよ。朝の8時だ。一人25ペソだ」と言うので、更に突っ込んで聞いてみると「ん、スト・・・そんな話もあったナぁ。ああ、そうだ、コパカバーナまでで、ラ・パスには行かないかな」だと。そうやって、ラ・パスまでのチケット売りつけて儲けようってんだな。それに、コパカバーナまでだって来ないじゃないか。国境で降ろして「ハイさよならね」するくせに。こいつら、ボリビア人並みに相当ずるい・・・

 バスを待つ間にうめちんたっての希望でアルパカ製のふわふわ敷き座布を購入。大事に抱えてバスに乗りこむ。いつまでも握りしめ、顔をスリスリしていた。来たときと変わらぬオレンジ色の輝きを見せるプーノの町が遥か遠くなっていく。いつのまにか眠ってしまったうめちん。あんなに大事にスリスリしていたアルパカ座布を私の方に投げて、落ちそうになっていても気がつかない。

 そのうち、長い足の行き場に困ったらしく私の方にずんずん足を伸ばしてくる。通路側の足元には、少年が私の方に足を寄せて横になっている。荷物を全部抱え、小さくなって寝ようと努力した私。しかも、最近よく出るジンマシンが痒くて結局、よく眠れなかった・・・今日も訳のわからぬテレビだけが、コウコウとバスの中を照らしていた。

 
2000.4.11(火)