「天竺」目指して夫婦モバイル放浪 |
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旅人の横顔1 99.9.10〜11
世界各地に日本人宿と呼ばれる日本人ばっかり集まる宿があります。有名なところでは、バラナシ(インド)のクミコハウス、カイロ(エジプト)のサファリホテル、メキシコシティー(メキシコ)のペンションアミーゴ、そして今は無きバンコク(タイ)のジュライホテル。海外には、私達の様な人達が日本人を求めて、情報を求めて、そして異国のなかでの安心を求めて集まってくる数々のホテルがあります。
多くはそのような宿で、また道の途中で私達は色々な日本人旅行者に会うのですが、その中に個性的な日本人が数多くいる事に気がつきました。そんな人達の中から特に「この人はぜひ!!」と思った人を今後何人になるか分かりませんが、紹介していこうと思います。
旅人1 林田 誠二さん
林田さん。私がペンションアミーゴの部屋に入っていったとき、一生懸命ほかの人とはなしをしている姿が非常に印象的でこの人は話し好きなんだな…と言う印象を受けたのでした。
話をしてみると、非常にまじめな一面、そしてやさしい一面が見えて来る人でした。
ウメ(以後U)「何で旅行に出られたんですか?」
林田(以後H)「仕事をやめて、今まで出られなかった分旅行しようと思って。進学塾の仕事してたんですけど。」
U「今までずっとと言うことは、ずいぶん長い間仕事してたんですね。で、何で仕事やめたんですか?」
H「いや、最近の子供って、返ってくるものが少ないんですよ。一生懸命やっても、いくらがんばっても何にも帰ってこなくってね。」
U「そうなんですか。今までどこ旅行されてきたんですか?」
H「うーーん。私アジアを中心に廻っていたんですよ。タイとかミャンマーとか。」
U「で、なんでここ(メキシコ)に?」
H「いや、タイとか雨季で、気候が悪くって。こっちに逃げてきたんですよ。」
そして、林田さんの話はいつしか知らない間に子供の話へと移っていく…。日本の子供に愛想を尽かして子供が嫌いになったわけではないらしい。林田さんは生来子供が大好きで、どこに行っても子供と遊んでしまうのだと言う。
H「日本って子供が子供じゃなくなってますよね。それの後追いで、バンコクとか大分そうなんだけど、子供が子供じゃなくなってきているところもあるんですよ。でも、ミャンマーとか行くと、昔の日本の子供の姿がそこにあるんですよね。」
U「それは、経済発展の具合が影響してるんですか?」
H「そうですね。そう、バンコクとかの大都市圏でとくにそうですよね。プライベートスクールって言うんですか? 私立学校ですよねそういう奴。ちょっと親がお金持ってくると、そういう学校に行かせたがって。子供が制服着て、親に車で送り迎えしてもらうんですよ。」
U「ミャンマーとかはまだぜんぜんいいんですか?」
H「そうですね。ミャンマーとかはまだ子供が子供してますよ。20年前の日本の子供って言う感じなんですね。」
話が一段落し、請われるままに私がシタールを弾き始め、そして弾き終えた後…おもむろに林田さんは、バックパックの中から紐を取り出すとそれを切り始めた。
その紐は靴紐にも見えず、あまりにも旅行に不必要そうだったので、私達が不思議に思い見ていると…。
H「芸を見せていただいたんで、私も芸を見せようと思うんですよ。」
そう話しながらも、林田さんの手は進んでいきます。そして出来あがったものは…それは一本の細い紐から作った、小さな小さなワラジだった。
U「うわーー。凄いですねーー。こんなの作れるんですね。」
H「私、いろんな所でこれを作り歩いているんですよ。作って、タダであげて。」
U「タダなんですか?売ったりはしてないんですか?」
H「そうなんです。タダなんです。私、大学のときにこれの作り方を覚えたんですけど、その教えてくれた人もこれを売ったりは絶対にしなかったんです。その教えがあるんですよ。覚えたころは結構毎日作ってたんですけれども、仕事始めてからはつくんなくなっちゃって。旅行に出てから久しぶりに作ってみたら作れないんですよね。」
U「ははあ。そう言えば、それって簡単に出来るんですか?」
H「いや、簡単じゃないですよ。私もきちんと形になるまで50個ぐらいかかりましたから。私、負けず嫌いなんですよ。何でも、きちんとできるまでは納得いかなくって。」
言葉の端々に、生来の几帳面さ、やさしさがにじむ。いつしか話は、子供の話に戻り…。
H「子供にね、こっちから話かけるのはルール違反なんですよ。だからね、僕は子供が遊んでいると、その近くに行って折り紙とか作って並べ始めるんですよ。それで、30分か一時間ぐらい経つと最初の子供が寄ってくるんですね。そうするとしめたもので。後はそこの子供、それから大人までやってくる。」
U「そうすると、折り紙とかワラジって言うのはとっても良いコミュニケーションツールなんですね。」
H「ええ。そうですね。子供と話しているといつのまにか大人とも話するようになりますしね。でもね、時々人が集まりすぎちゃって収拾できなくなっちゃうんですよ。こないだLapas(メキシコ)の港でもそうでしたけど。」
U「ああ、ありますよね。(笑)私もね、こっちの国で路上演奏しようと思ってるんですけど、それが結構怖いですよね。」
H「そうなったら、私さっさか逃げちゃうんですけど。(笑)」
海外に出ると、外人が非常に珍しい地帯もあり、街を歩いているだけで人が集まって来たりする。私が街を歩いているだけで子供が雲霞の様に集まってきて、逃げないでいたらいつのまにか自分の廻りが全部子供になっていたこともある。街中をただ歩いているだけでそうなる地帯もあるのだから、折り紙を折ったり、わらじを作っていればなおさらだろう。
そして最後に、強い調子で林田さんはこう言っていた。
H「私ね、ワラジと折り紙がこの旅の生命線だと思っているんですよ。」
U「でしょうね。林田さんの旅って子供に会いに行く旅で、これが無くなっちゃどうしょうもないですものね。」
H「あとね、私は作ったものを売らないんです。アジアの宿屋のおばちゃんとかに、教えてくれって言われて教えたこともあるんですけど、その人は売っているかもしれないけど、私は絶対に売らないんですよ。」
U「それは良いかもしれませんね。」
H「私、今までずっと働いてましたから…だから、あげたいんです。世界中の子供にね、自分の手作りのワラジをプレゼントして歩こうと思っているんですよ。」
私はそれを聞いたとき、自分の心の中にあるなにかに触ったような気がした。日本を出てきて、忙しかった日本の生活から開放され、徐々に心の余裕を取り戻してきたのだが、ことお金に関する限りまだまだ厳しい気持ちで居たのも事実。日々、いくらしか使えない…ちゃんとインドまで行けるんだろうか…そういうお金面の厳しさが旅のスタイルにも影響を与え、余裕を無くしていくような気がしていた。
その中で聞いた林田さんの話は、「ああ、そう言う旅もあっても良いんだ。そう言う旅もありなんだ。」という、気持ちにさせてくれるに十分なものでした。林田さん、ありがとうございました。