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旅人の横顔3〜畑野 昭さん〜 99.11.14

 私達がグアテマラの古都アンティグアを出ようとしていた頃、新しい旅人がアンティグアにやって着ました。彼は私が会ったバックパッカーの中で一番最高齢の71才のバックパッカーでしたが、寄る年波をモノともせず、非常に元気で、かつ色々な物に興味を持ち、4ヶ国語(英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語)を喋ると言う、非常に若い心を持った人でした。

 その日は日曜日で学校が休みだったので、私達はアンティグアに居る数人の日本人と一緒にアンティグア近郊の山の上の町まで自転車で登ろうと計画していました。その話を私達が畑野さんにすると、彼は、朝フローレスから10時間以上もかけて夜行で来たと言うのに、「私も行きます」と言ったのです。

 「私は、本当に大丈夫なんだろうか?」、「本当に坂道ついて来られるんだろうか?」、「途中で心臓麻痺になってぶっ倒れないだろうか?」と非常に心配したのですが、走ってみてびっくり。Kがヒーヒー言っている坂でも畑野さんは平気な顔して上って行くのです。アラスカから降りて来た現役の自転車旅行者と比較しても遜色ないほどの体力でした。結局、心配していた方が逆に心配されると言う結果に終わってしまったのですが。

ウメ(以下U)「71才なのに、凄い体力ですよね。正直びっくりしました。」

畑野(以下H)「いやいや。私はね、日本に居る時は毎日2500メートル泳いでいますからね。」

U「え?毎日2500メートルですか? 500メートル泳ぐのも私だったらキツイのに。」

H「ゆっくりゆっくりでも良いから毎日泳ぐのが重要で。この年になっても元気で旅に出られるのはそれのおかげだと思ってますよ。」

U「そうですよね。普通だったら、私のおばあさんも確か71才位だったかと思うんですが、さすがに海外をバックパック背負って旅行するほどの体力と好奇心はない様な気がします。私のおばあさんは山仕事とかずっとしてきましたから、体力は他の同年代の人なんかよりもずっとあると思うんですけれどもね。」

H「いや、皆羨ましがりますよ、私の事を。(^_^)」

U「そうですよね。私もその年になっても元気に旅行できたら良いなって凄く思いますし。そう言えば、どうして海外旅行出ようと思われたんですか?」

H「いや、このまま日本だけしか知らないで死ぬのはイヤだなって思ったからですよ。日本だけしか知らないって言うのはすごく損だと思ったんですよね。日本だけしか知らないで、ここがイヤだ、ここが良いって思っててもね。私の若い頃はそう簡単に旅行なんか行けませんでしたし。」

U「若い頃って言うと、戦時中とかですか?」

H「そうですね。私は戦争が終わった時、17才でしたから戦争には行かずに済みましたけど。」

U「ははぁ。その後、お仕事は何されてたんですか?」

H「私はその後、大学を出て、炭坑の仕事をしてました。北海道で。」

U「炭坑……。私が炭坑って言うと、一番真っ先に思い出すのが塵肺なんですが。塵肺は大丈夫だったんですか?」

H「そうですね。いっぱい粉塵を吸ったのは3年間くらいでしたから。大丈夫ですね。」

U「炭坑って言うと、ヤマ、ですよね。やっぱり事故とか。」

H「一度ね、事故があった時の救助隊に入って居る時に事故があったんですよ。爆発。で、救助に行った奴とかが一酸化炭素中毒とかで何人やられたって言う時に坑内に入れって言われてね。」

U「うわ。それは怖いですよね。酸素マスクとかは?」

H「一応、ありますよ。でも酸素マスクは一時間ぐらいしかもたないんですね。それが終わったら…。で、爆発の時に坑内に救助に行くんですけど、はっきり言って怖い。チンチンが縮み上がって。」

U「それは怖いですよね。確か私が小学生の頃だったと思うんですけど、夕張あたりで爆発事故があって中にまだ人が居るって言うのに水を坑内に流し込んだりして。TVで見たんですけど、良く覚えています。で、その後は?」

H「その後は、色々な仕事していましたけれども。とにかく働いていましたね。」

U「今はじゃあ、貯めたお金と年金で旅行を?」

H「ええ。こんな旅行しているって言うのも、すごく楽しいって言うのがありますが、汗水たらして貯めたお金なんで簡単には使う気にならないって言うのもありますよね。高級ホテルとか泊まったら一泊100$以上消えてくじゃないですか。」

U「ええ。私も高級ホテルには絶対泊まる気にならないです。エアコンですし、窓は嵌め殺しですし。しかも高い。」

H「高いだけじゃなくって。日本で他の人に話をすると、何で一泊2$とかの宿に泊まっているんだとか言われるんです。そんなとこ、本当に人間が泊まれるのかって。でもね、私が思うに、安宿には安宿の良さがありますよ。そんなに汚くないですしね。高級ホテルとか泊まると、とにかく他の人とぜんぜん話出来ないんですね。フランスなんかに行ったとき、完全に無視されましたもの。でも、安宿だったら私があなた達に会ったように、色々な人と出会えて話が出来る。地元の人とコミュニケーション出来るんですね。」

U「そうですね。私もこんな旅行していなかったら、未だに英語喋れないままの様な気がしますし。そう言えば、何才頃の時に旅行をはじめられたんですか?」

H「私が海外旅行に初めて行ったのは66才と9ヶ月の時ですね。5年前になりますけど。5年間で23ヶ月間旅行して、廻った国は31ヶ国になりますね。」

U「5年間のうちに23ヶ月!! 相当旅行されていますね。廻った国もすごく多いですし。その中で一番きつかった時っていつですか?」

H「一番きつかった時は、やっぱり一番最初の旅行の時の一番最初の夜ですね。パリに着いたとき、もう夜だったんですよ。それで観光案内所に行ったら日本語版のパリの地図があって。で、そんな観光案内所で一つ星のホテルを教えてもらったんですね。」

U「ええ。」

H「でも、観光案内所出て見ると、もうそこがどこだか全然分らないんですよ。で、フランス語で人に「ここはどこか?」って聞くんですが、私のフランス語が悪いのか、相手が知らないのか知らないけど全然通じない。それで、仕方ないんで、歩いてみたんですけど、街には黒人の娼婦とかがいるわなんだで…。道分っている人だったら30分くらいだったんでしょうけど、その時は一時間半くらいかかりましたね。」

U「なるほど。そうだったんですか。(^_^) そう言えば、何か海外に出て変わった事とかあります?」

H「いや、私が出たのは66才の時ですからね。いまさら人生観は変わらないとは思っていましたけど。」

U「人生観変わりました?」

H「いや。そんなに大きくは変わらなかったですよ。でも、日本から外に出てみてその国にはその国の良い所と、悪い所があるんだって思うようになりましたね。あと、外の視点から日本を見られるようになりましたよ。」

U「ああ、確かにどんな国にも、良い所と悪い所ってありますね。日本にもありますものね。外の視点から日本を見られるようになったって言うのは?」

H「例えば、ヨーロッパに行ったりなんかすると、美術館でする教育って言うのがあるんですね。先生が生徒を美術館に連れて来て、先生は一つの絵の前で30分とか時間をかけて絵の説明をしたりするわけですよ。」

U「そう言えば、メキシコとかでもそうでしたよ。私達がメキシコの人類学博物館に行ったときにスケッチしているメキシコの学生がいっぱいいましたもの。うるさかったですけどね。(^_^)」

H「私が学生の頃なんて愛国教育ばかりで、そんな絵を美術館に見に行く教育なんてなかったですから。それに比べると、たとえ借り物の知識であっても、30分も一枚の絵の前で語れる先生がいるって言うのが凄い。」

U「ははァ。確かにそれはありますね。ドイツなんかには、日本みたいに画一的な教育でないシュタイナー学校とかありますしね。私も子供が出来たらそう言う所に入れたいなって思っているんですよね。なんか、東京に一校あるらしいんですよ。あと、最後になりますけど、旅は何才ぐらいまで続けられる予定ですか?」

H「体が動かなくなるまで。80位までいけるかな…。旅は楽しいですからね。あと、思うのが元気なうちにぽっくりいけたら良いなって。そうそう、あとね…」

U「あと?」

H「私、これを読んでくれる人にぜひとも伝えたい事があって。」

U「どんな事ですか?」

H「私ね、自分がこう言う旅をしてとっても楽しいので、他の人にも是非して欲しいって思うんですよ。あなた達みたいな若い人達は旅に出ているけど、私みたいな年齢の人ってなかなか海外に出て来ない。出て来てもツアーでしょう。」

U「ええ。」

H「それでね、中学校2,3年ぐらいの英語が話せれば、後は出てくるだけであなたの人生の中になかった様な体験が出来ますよ、新しい人生が開けますよって伝えたいんですよ。」

U「そうですね。若い人達って旅にいっぱい来てますけど、他の年代の人達ってあんまり見ないですものね。」

H「そう。一人でもいいからこれを読んだ人が、旅に出たいって思ってくれると嬉しいですね。」

U「そうですか。(^_^) ありがとうございました。」

 畑野 昭さんは、71才と言う高齢を物ともせず、時には外人に誘われてバーで飲んでみたり、時には自転車に乗ってみたりと、非常に若い心を持った人でした。私も、年をとるんだったらこう言う風にして年をとってみたいとしみじみ思ったものです。

 畑野さん、これからもがんばって旅を続けてください。ありがとうございました。

モドル